相場生活者の河内の風来坊です。
相場生活者とは、生活費を相場の利益から捻出して、生活している者という意味です。
現在は、含み損を抱えていますが・・・
河内は、「かわち」と読みまして、河内地方(大阪の東部)に住んでいます。
風来坊は、根っからの風来坊な性格から、そのまま取りました。
私が日常感じた事や、相場に対する捉え方、売買履歴などを綴っていきたいと思います。
カテゴリ: 自己紹介
私の相場履歴書①
おはようございます!河内の風来坊です
不定期ではありますが(ネタ切れをしたら)、5回に分けて私の相場履歴を書いていきたいと思います。
1回目は、『罫線時代』(2000年11月~2002年4月)です。
私が相場の世界に足を踏み入れたきっかけは、
①私より5才年上の義兄が投資を始めた事
②ネット取引ができる様になった事
この2つがきっかけでした。
最初に口座を開設したのは、2000年の11月でDLJ証券(現在の楽天証券)です。
投資の勉強をしようと書店に行き、目に飛び込んできたのが『柴田罫線』で、柴田罫線とは、罫線に生涯を捧げた柴田秋豊氏が、過去の罫線を研究して生み出されたテクニカル分析法です。
私は柴田罫線に関する書籍(天底と転換罫線型網羅大辞典など)を片っ端から買い、セミナーにも1度だけ行きました。(セミナーに行ったのは、相場人生の中で、この時が最初で最後です)
とにかく一生懸命勉強しました。棒足(ぼうあし)法則・鈎足(かぎあし)法則・順張り四十八法則・逆張り四十八法示など・・・
相場観測ソフト(コンピューターが自動で、買い法則・売り法則を発見し、買い転換・売り転換を教えてくれるソフト)も、購入しました。
準備も完了し、いよいよスタートです!信用取引の口座は、まだ開設できなかったので、現物の買いのみで始めました。
運用資金は、貯蓄した200万円からのスタートで、最初に購入した株は戸田建設(1860)です。当時は、下落相場(IT不況)だった事もあり、買い転換するものの『ダマシ』も多く、株を買っては値下がりするので損切り、また買っては損切りの連続でした。
その頃、京都の甘味処で働いていたのですが、厨房で携帯電話から株価をチェックする度に値下がりしていて、落ち着かなかった記憶があります。
結局、運用資金も大きく目減りしてしまい、仕事も手につかなかった事もあり、一旦相場から離れる事にしました。 2回目の『下積み時代』へ続きます
不定期ではありますが(ネタ切れをしたら)、5回に分けて私の相場履歴を書いていきたいと思います。
1回目は、『罫線時代』(2000年11月~2002年4月)です。
私が相場の世界に足を踏み入れたきっかけは、
①私より5才年上の義兄が投資を始めた事
②ネット取引ができる様になった事
この2つがきっかけでした。
最初に口座を開設したのは、2000年の11月でDLJ証券(現在の楽天証券)です。
投資の勉強をしようと書店に行き、目に飛び込んできたのが『柴田罫線』で、柴田罫線とは、罫線に生涯を捧げた柴田秋豊氏が、過去の罫線を研究して生み出されたテクニカル分析法です。
私は柴田罫線に関する書籍(天底と転換罫線型網羅大辞典など)を片っ端から買い、セミナーにも1度だけ行きました。(セミナーに行ったのは、相場人生の中で、この時が最初で最後です)
とにかく一生懸命勉強しました。棒足(ぼうあし)法則・鈎足(かぎあし)法則・順張り四十八法則・逆張り四十八法示など・・・
相場観測ソフト(コンピューターが自動で、買い法則・売り法則を発見し、買い転換・売り転換を教えてくれるソフト)も、購入しました。
準備も完了し、いよいよスタートです!信用取引の口座は、まだ開設できなかったので、現物の買いのみで始めました。
運用資金は、貯蓄した200万円からのスタートで、最初に購入した株は戸田建設(1860)です。当時は、下落相場(IT不況)だった事もあり、買い転換するものの『ダマシ』も多く、株を買っては値下がりするので損切り、また買っては損切りの連続でした。
その頃、京都の甘味処で働いていたのですが、厨房で携帯電話から株価をチェックする度に値下がりしていて、落ち着かなかった記憶があります。
結局、運用資金も大きく目減りしてしまい、仕事も手につかなかった事もあり、一旦相場から離れる事にしました。 2回目の『下積み時代』へ続きます
私の相場履歴書②
おはようございます!河内の風来坊です
私の相場履歴書シリーズの2回目は『下積み時代』(2002年5月~2005年4月)です。
下積み時代と言っても別に誰かに弟子入りをしたわけではなく、一言でいえば、『相場から一旦離れ、もう一度最初から勉強をして、運用資金の回復に努めた時期』です。この下積み時代があったからこそ現在の自分はあると思います。
テクニカル分析(罫線)でうまくいかなかったので、今度はファンダメンタルズの勉強をする事にしました。当時はファンダメンタルズという言葉ぐらいしか知らなかったので、資本主義とは?株式会社とは?株とは?株価とは?といった基本的な事から始めました。
投資を始めた頃は、ネット接続はダイヤルアップ接続を利用していて、接続時間に応じて課金されるので短時間しかネットを利用できませんでしたが、タイミング良く、この頃常時ネットに接続できるブロードバンドが普及してきたので、勉強は主にネットでしました。
そして、バリュー投資という手法がある事も初めて知りました。バリュー投資家のサイトやブログを毎日拝見し、わからない言葉があればメモして調べ、書かれている内容がわからなければ質問しました。
バリュー投資家のサイトやブログで質問の投稿をしている内に、気が付いたらコメント欄で色々な人とバリュー投資について論戦もしていました。まだ実績もないのに論戦できるほど、理解を深めていたのだと思います。
もちろんハンドルネームは河内の風来坊ではありませんし、当時よく投稿していたサイトは2007年頃に閉鎖されましたが・・・
資金面も、スタート時(200万円)を大きく上回る程回復してきましたし、バリュー投資やバリュー銘柄の選び方もわかったので、会社四季報を買って本格的に復帰しようと思ったのが2005年の3月です。
そして証券会社も心機一転、楽天証券から松井証券に変更して、再スタート時の資金は100万円に決めました。もっとありましたが、慣れるまで安全運転をしようと思ったからです。
私は運用資金が1000万円以上あったとしても、最初の1年間ぐらいは100万か200万円ぐらいからスタートするのが良いのではないかなと思います。最初は右も左もわからない状態だと思いますので。
次回の『バリュー投資時代』へ続きます。
私の相場履歴書シリーズの2回目は『下積み時代』(2002年5月~2005年4月)です。
下積み時代と言っても別に誰かに弟子入りをしたわけではなく、一言でいえば、『相場から一旦離れ、もう一度最初から勉強をして、運用資金の回復に努めた時期』です。この下積み時代があったからこそ現在の自分はあると思います。
テクニカル分析(罫線)でうまくいかなかったので、今度はファンダメンタルズの勉強をする事にしました。当時はファンダメンタルズという言葉ぐらいしか知らなかったので、資本主義とは?株式会社とは?株とは?株価とは?といった基本的な事から始めました。
投資を始めた頃は、ネット接続はダイヤルアップ接続を利用していて、接続時間に応じて課金されるので短時間しかネットを利用できませんでしたが、タイミング良く、この頃常時ネットに接続できるブロードバンドが普及してきたので、勉強は主にネットでしました。
そして、バリュー投資という手法がある事も初めて知りました。バリュー投資家のサイトやブログを毎日拝見し、わからない言葉があればメモして調べ、書かれている内容がわからなければ質問しました。
バリュー投資家のサイトやブログで質問の投稿をしている内に、気が付いたらコメント欄で色々な人とバリュー投資について論戦もしていました。まだ実績もないのに論戦できるほど、理解を深めていたのだと思います。
もちろんハンドルネームは河内の風来坊ではありませんし、当時よく投稿していたサイトは2007年頃に閉鎖されましたが・・・
資金面も、スタート時(200万円)を大きく上回る程回復してきましたし、バリュー投資やバリュー銘柄の選び方もわかったので、会社四季報を買って本格的に復帰しようと思ったのが2005年の3月です。
そして証券会社も心機一転、楽天証券から松井証券に変更して、再スタート時の資金は100万円に決めました。もっとありましたが、慣れるまで安全運転をしようと思ったからです。
私は運用資金が1000万円以上あったとしても、最初の1年間ぐらいは100万か200万円ぐらいからスタートするのが良いのではないかなと思います。最初は右も左もわからない状態だと思いますので。
次回の『バリュー投資時代』へ続きます。
私の相場履歴書③
おはようございます!河内の風来坊です
相場履歴書シリーズの3回目は、バリュー投資時代(2005年5月~2009年12月)です。
下積み時代を経て、この年の3月に発売された会社四季報でバリュー株をいくつかピックアップし、その中で1番自信のあったステップ(9795)で、再スタートを切りました。株価が下がった時に買い、利益が出たら売却、また下がったら買い、利益が出たら売却を繰り返しました。
ちなみに、この時には既に仕事は辞めていました。以前、株価が気になって気になって仕事が手につかなかった経験がありましたので、とにかく株に専念してみよう!それでダメだったら、また働こう!と決めていました。
再スタートという事もあり、資金も売買も慎重にやりました。この年の8月には、小泉総理の郵政解散があり、9月~12月まで株価はグングン上昇しましたので、もっと大胆にやれば良かったのかもわかりませんが、確実に利益を積み重ねる事ができましたので、バリュー投資に対して自信を持ちました。
翌年の2006年からは、全資金をバリュー株に、そしてステップだけではなく、他の銘柄にも購入していく事に決めましたが、郵政解散をきっかけに株価が大きく上昇したので、割安な銘柄が非常に少なくなっていました。この時、日経平均PERは20倍を超え、PBRは2倍を超えていました。
当時は割安な銘柄が少なく探すのに苦労しましたが、現在は逆で割安な銘柄がゴロゴロしているので絞り込むに苦労します。それだけ当時と現在では、市場全体の割安度は違うと感じています。
話を戻しまして、それでもなんとか割安株を見つけ出し、下がった時に買い、利益が出たら売却する事を繰り返しました。2000年の秋に株を始めた頃は、株価が下がるのが怖ったですが、この時は全く逆で、株価が下落すればするほど割安度が増すので、嬉しかった記憶があります。
保有しているバリュー株は、全て短期で利益になったわけではなく、中には1年以上保有した銘柄もあります。又、利益は出ているけど、まだまだ割安だと判断した銘柄は保有を続けるなど、銘柄によって保有期間は様々でした。
有名なバリュー投資家のサイトを見ると、意外にも2006年・2007年は苦戦している投資家が多くて、その中で自分は順調に利益を積み重ねる事が出来ていたので大きな自信になりました。苦戦している投資家に共通した事は、成長バリュー株を手掛けていた人が多かったです。
2008年に入ると、2007年に比べて株価は下がってはいるけど、指標的に割高な銘柄が増えてきたので、更に銘柄を絞り込む必要がありました。私は、リーマンショックが起きる数カ月前から、その当時1番自信があったハードオフコーポレーション(2674)に集中投資しました。
その後、リーマンショックが起き、人気株などは軒並み大暴落の中、ハードオフコーポレーションは、日経平均株価の半分ぐらいの下落で済みました。感覚的には『資産バリュー』という名の防空壕に入っている様な感覚でした。
歴史的に残る大暴落を無傷で乗り切った事で、私は資産バリュー投資に対して更に自信を深め、翌年の2009年はリーマンショックの反動もあり、相場人生の中で(現時点では)1番稼ぐ事が出来ました。
私は、すっかり天狗になってしまい、翌年に大損する事になります。続きは、相場履歴書④の日経先物時代(2010年1月~2010年7月)に書きたいと思います。最後に、当時私が1度でも保有した事がある銘柄の証券コードを載せておきます。
1788・2674・3597・3892・3948・4333・4341
4625・4720・4750・4783・5983・5990・6276
6289・6338・6919・7472・7480・7705・8117
8144・9795・9932・9986
大学受験の合格発表みたいですね(笑)
相場履歴書シリーズの3回目は、バリュー投資時代(2005年5月~2009年12月)です。
下積み時代を経て、この年の3月に発売された会社四季報でバリュー株をいくつかピックアップし、その中で1番自信のあったステップ(9795)で、再スタートを切りました。株価が下がった時に買い、利益が出たら売却、また下がったら買い、利益が出たら売却を繰り返しました。
ちなみに、この時には既に仕事は辞めていました。以前、株価が気になって気になって仕事が手につかなかった経験がありましたので、とにかく株に専念してみよう!それでダメだったら、また働こう!と決めていました。
再スタートという事もあり、資金も売買も慎重にやりました。この年の8月には、小泉総理の郵政解散があり、9月~12月まで株価はグングン上昇しましたので、もっと大胆にやれば良かったのかもわかりませんが、確実に利益を積み重ねる事ができましたので、バリュー投資に対して自信を持ちました。
翌年の2006年からは、全資金をバリュー株に、そしてステップだけではなく、他の銘柄にも購入していく事に決めましたが、郵政解散をきっかけに株価が大きく上昇したので、割安な銘柄が非常に少なくなっていました。この時、日経平均PERは20倍を超え、PBRは2倍を超えていました。
当時は割安な銘柄が少なく探すのに苦労しましたが、現在は逆で割安な銘柄がゴロゴロしているので絞り込むに苦労します。それだけ当時と現在では、市場全体の割安度は違うと感じています。
話を戻しまして、それでもなんとか割安株を見つけ出し、下がった時に買い、利益が出たら売却する事を繰り返しました。2000年の秋に株を始めた頃は、株価が下がるのが怖ったですが、この時は全く逆で、株価が下落すればするほど割安度が増すので、嬉しかった記憶があります。
保有しているバリュー株は、全て短期で利益になったわけではなく、中には1年以上保有した銘柄もあります。又、利益は出ているけど、まだまだ割安だと判断した銘柄は保有を続けるなど、銘柄によって保有期間は様々でした。
有名なバリュー投資家のサイトを見ると、意外にも2006年・2007年は苦戦している投資家が多くて、その中で自分は順調に利益を積み重ねる事が出来ていたので大きな自信になりました。苦戦している投資家に共通した事は、成長バリュー株を手掛けていた人が多かったです。
2008年に入ると、2007年に比べて株価は下がってはいるけど、指標的に割高な銘柄が増えてきたので、更に銘柄を絞り込む必要がありました。私は、リーマンショックが起きる数カ月前から、その当時1番自信があったハードオフコーポレーション(2674)に集中投資しました。
その後、リーマンショックが起き、人気株などは軒並み大暴落の中、ハードオフコーポレーションは、日経平均株価の半分ぐらいの下落で済みました。感覚的には『資産バリュー』という名の防空壕に入っている様な感覚でした。
歴史的に残る大暴落を無傷で乗り切った事で、私は資産バリュー投資に対して更に自信を深め、翌年の2009年はリーマンショックの反動もあり、相場人生の中で(現時点では)1番稼ぐ事が出来ました。
私は、すっかり天狗になってしまい、翌年に大損する事になります。続きは、相場履歴書④の日経先物時代(2010年1月~2010年7月)に書きたいと思います。最後に、当時私が1度でも保有した事がある銘柄の証券コードを載せておきます。
1788・2674・3597・3892・3948・4333・4341
4625・4720・4750・4783・5983・5990・6276
6289・6338・6919・7472・7480・7705・8117
8144・9795・9932・9986
大学受験の合格発表みたいですね(笑)
私の相場履歴書④
こんにちは!河内の風来坊です
私の相場履歴書シリーズの4回目は、日経先物時代(2010年1月~2010年7月)です。
バリュー投資で成功したので、そのまま続けていれば良かったのに!と思われるかもわかりませんが、割安株は、いつ動意付くか(割安が是正されるか)わからないので、相場生活者がやる売買手法としては不向きでした。
まだ割安なのに、仕方なく保有株の一部を売却して生活費に充てるという事が何度かあり、私は短期で利益が得られる短期売買へと大転換する事に決めました。
短期売買へ大転換した事は、間違っていなかったと思いますが、いきなり日経先物を手掛けたのは大失敗でした。先物では、レバレッジを利用する事になりますので『損切り』が必要になってきますが、私はバリュー投資で、ほとんど損切りをしなかった事が災いしました。
先物のスタートは順調でした。『ラージ1~10枚を分割で売買する』というルールだけを守り、損切りする事もなく、資産も順調に増えていきました。そして、順調な状態が4カ月も続いた5月に入ってから事件は起こります。
GW明けに、日経平均株価が11000円まで上昇したのを見て私は強気になり、ラージ10枚を一気に投入する勝負に出ました。そして、その直後に『ギリシャショック』が発生して、株価は急落を始めます。
私は「分割で売買する」と自らが設定したルールを破った事によって、完全に自分を見失ってしまいました。自分でも何をしているのか?何がしたいのか?何をすればいいのか?気持ちと頭の整理が付かないまま売買を続けてしまいました。
本来、記憶力は良い方なのですが、この後の事はよく憶えていません。ラージ10枚まで、というルールも破ってラージ20枚まで買い増ししたり、下がってから慌てて売りのヘッジを入れたり、とにかく無茶苦茶な売買をしてしまい、全て清算したのは、ほぼ底値圏の9000円近くの時だったと思います。
この年(1月~4月まで)の利益はもちろんの事、過去最高益になった2009年の利益も全て吹き飛ばしてしまいました。それからは、自分で自分を責める日々が始まりました。
せっかくリーマンショックを乗り切ったのに!せっかくコツコツ貯めてきたのに!なぜ勝負に出た!順調なのに勝負する必要があったのか!なぜルールを破った!油断していたのか!過信していたのか!といった感じです。
この苦しみから逃れるには、死んだ方が楽なのではないか?などとも考えました。そんな悪夢にうなされる日々の中、『どんな苦しみも、時が解決してくれる』という言葉を思い出し、まだ軍資金もある!もう一度やってみよう!と気持ちを切り替え、6月から今度はデイトレで勝負する事に決めました。
デイトレは、「ラージ10枚で、1日10円~50円抜き」を目標にやりました。この時は、緊張で右手が汗で濡れるので、いつも近くにタオルを置いてトレードをしていました。
毎日プラスにする事はできませんでしたが、トータルで6月・7月ともプラスになり、少しは取り戻す事ができましたが、日々の緊張から精神的にボロボロになり、これでは体が持たない!と判断して、7月一杯で日経先物は終わりにする事に決めました。
翌月の8月は1ヶ月休み、9月から現物取引で短期売買を始める事にしました。続きは、私の相場履歴書⑤短期売買時代(2010年9月~現在)に書きたいと思います。
私の相場履歴書シリーズの4回目は、日経先物時代(2010年1月~2010年7月)です。
バリュー投資で成功したので、そのまま続けていれば良かったのに!と思われるかもわかりませんが、割安株は、いつ動意付くか(割安が是正されるか)わからないので、相場生活者がやる売買手法としては不向きでした。
まだ割安なのに、仕方なく保有株の一部を売却して生活費に充てるという事が何度かあり、私は短期で利益が得られる短期売買へと大転換する事に決めました。
短期売買へ大転換した事は、間違っていなかったと思いますが、いきなり日経先物を手掛けたのは大失敗でした。先物では、レバレッジを利用する事になりますので『損切り』が必要になってきますが、私はバリュー投資で、ほとんど損切りをしなかった事が災いしました。
先物のスタートは順調でした。『ラージ1~10枚を分割で売買する』というルールだけを守り、損切りする事もなく、資産も順調に増えていきました。そして、順調な状態が4カ月も続いた5月に入ってから事件は起こります。
GW明けに、日経平均株価が11000円まで上昇したのを見て私は強気になり、ラージ10枚を一気に投入する勝負に出ました。そして、その直後に『ギリシャショック』が発生して、株価は急落を始めます。
私は「分割で売買する」と自らが設定したルールを破った事によって、完全に自分を見失ってしまいました。自分でも何をしているのか?何がしたいのか?何をすればいいのか?気持ちと頭の整理が付かないまま売買を続けてしまいました。
本来、記憶力は良い方なのですが、この後の事はよく憶えていません。ラージ10枚まで、というルールも破ってラージ20枚まで買い増ししたり、下がってから慌てて売りのヘッジを入れたり、とにかく無茶苦茶な売買をしてしまい、全て清算したのは、ほぼ底値圏の9000円近くの時だったと思います。
この年(1月~4月まで)の利益はもちろんの事、過去最高益になった2009年の利益も全て吹き飛ばしてしまいました。それからは、自分で自分を責める日々が始まりました。
せっかくリーマンショックを乗り切ったのに!せっかくコツコツ貯めてきたのに!なぜ勝負に出た!順調なのに勝負する必要があったのか!なぜルールを破った!油断していたのか!過信していたのか!といった感じです。
この苦しみから逃れるには、死んだ方が楽なのではないか?などとも考えました。そんな悪夢にうなされる日々の中、『どんな苦しみも、時が解決してくれる』という言葉を思い出し、まだ軍資金もある!もう一度やってみよう!と気持ちを切り替え、6月から今度はデイトレで勝負する事に決めました。
デイトレは、「ラージ10枚で、1日10円~50円抜き」を目標にやりました。この時は、緊張で右手が汗で濡れるので、いつも近くにタオルを置いてトレードをしていました。
毎日プラスにする事はできませんでしたが、トータルで6月・7月ともプラスになり、少しは取り戻す事ができましたが、日々の緊張から精神的にボロボロになり、これでは体が持たない!と判断して、7月一杯で日経先物は終わりにする事に決めました。
翌月の8月は1ヶ月休み、9月から現物取引で短期売買を始める事にしました。続きは、私の相場履歴書⑤短期売買時代(2010年9月~現在)に書きたいと思います。